mt:d080129_translationsの続きというか,言い訳というか.
前のエントリは,近況の私が飽きただけ
に対して,論文やら何やらの追い込みで朦朧とした頭が何か書こうとしてた奴の残骸で,そろそろWBに飽きたけど
に対してどうこう言うものでは無いのです.
実際,正式リリースは夏ごろ(cf.Opera: Next Version to Crush Internet Explorer)なんていわれてる状況で,いわゆるnightly でbuggyな Weekly buildを追い続けるには結構な情熱が居るとおもうので,飽きること自体は利害関係者では無い一般ユーザにとってたいした事じゃないわけです.
じゃあ,その私が飽きただけ
になんでプッツンしたかというと,発端は公開ということにあるわけです.まったく持って同意できない主張だが,彼の立場を慮ったのかどうかは知らないが,一時期 opera ユーザのサイトでの desktopteam blogなどの邦訳モノの公開がとまってて.結局,kuruman,org での公開に集約されて,9.50.9562(スナップショット祭 (kuruman.org > Kuruman Memo)”)),9.50.9594(すてきなサムネイルや即時の検索他いろいろ (kuruman.org > Kuruman Memo)”))と続いて,あわてん坊なクリスマスがやってきた (kuruman.org > Kuruman Memo)”)まで(cf.kawatarou.info/bookmarks/WeeklyBuild),順調に邦訳が出てきてたから,結局Opera社の関係者によってsystematicに情報が提供されるような体制になったのだと認識してたわけで.
それが,年が明けてからは出てこなくて,9.50.9745 と 9755 に関しては Shisshimushi - 9.50 build9745 - 9755でのフォローだけという状況を生んだ訳で.
その挙句に「飽きた」と来たので「連携して邦訳を一本化しておいたのに何を勝手なことを」とプッツンした次第.よくよく考えなくとも僕が「勝手に解釈して勝手に期待して,勝手にプッツンしました」という話ではあるのだけど,実際のところどうにかしなくちゃいけない問題がないわけじゃない.
突き詰めると,邦訳をどう公開するのが日本語圏でのOperaの普及にとってベターかというところに行き着くと思う.
jp.opera.com の中の人(たち)に頑張ってもらうのがベストなんだろうけど,現状それだけのリソースを裂く余裕があるようには思えないし,my.opera.com などでのブログはあくまで非公式なものだから,業務として jp.opera.com で受け持つわけにも行かないと思う.
かといって,今までどおり一部のユーザが勝手気ままに我先に公開するというのもまずいのは言わずもがなだ.assign可能な数は一番多いだろうから量的充実と速報性だけは確保出来るが,それぞれのブログでの公開となれば資料が分散して一般ユーザにとっては良くない.その上,邦訳の質が個人の語学力に依存するし,資料の永続性(いつまで読めるか)と正確さが個人の情熱に依存することになって,「飽きた」の一言で無くなったり,誤訳を垂れ流したりと問題ばかりだ.
そうなると,opera-wikiがベターな感じだが,Wiki では質の確保が難しい.ある程度編集可能な人数を絞れば解決するだろうけども,そのコントロールが yaske氏の裁量になってSPoF的にも中立性的にも問題が残る.個人的な好き嫌いを言うとpukiwiki のURIは嫌.
俺らとか,ChooseOpera-Japanとかだとユーザ認証の点で便利だけども,履歴が残せないのとサーバが無くなったりURIが変えられたりして根幹のコントロールがこちら側に無いのが不安材料.
というわけで,どっかに,複数の管理者が居られて,編集には権限が必要で,変更履歴が残せて,URIがすっきりしてるCMSと,それを積んだある程度の負荷に耐えうるサーバがないかなぁ.
moonstone lab 停止後は停止前に比べてcommunityの密度が明らかに薄くなってるよなぁ.この手のactivityに関しては.