一般的な日記において,その時々の気分に応じて好きなように文体(口調)を使い分けるのはかまわないと思うが, ** Web ** 日記となれば話は変わってくる.

僕が,日記で好きなように文体を使い分けてもかまわないと思うのは,日記が(基本的に)非公開であるという点に最大の理由がある.つまり,基本的には,書き手も受け手も日記をつけている本人のみであり,representationの一貫性に気を使う必要が無い.もしかすると,書いた本人すら読み返すことが無く,受け手がいないということもありうるので書き捨て(掻き捨て)であってもかまわない.

一方で一般的なWeb上の文書は,不特定多数に対し一定の主張のもとに公開されるので,一貫性の無いrepresentationは,閲覧者に不必要な混乱を与える恐れがある.また,一貫性を保つことは,微妙なニュアンスの違いを非電子的なメディアによって共有することの出来ない,非空間共有系なWebでのcommunicationにおいて,情報公開者の人格に対する信頼性を醸成するのに有効である.

さて,本題のWeb日記はどうだろうかと考えると,書き手が,Web日記なるものを「媒体をWebに移した日記」か,「『日記』と名付けられたWeb上の文書」のどちらよりに捉えているかということによって決まるのではないかと思う.前者よりであれば,文体を頻繁に変えることも許容されるし,後者よりであればそれは出来ない.


翻って,ここ(mt.ashula.info)はどうなのかというと,ここは「ぶろぐ」なのでどちらでもないと言っておこう.

もともとの発端から方向性がずれた.