2,3日前の第三リンク論からのつづき。多少デムパ。

明示されていなければ、何をしてもかまわないわけではないが、意思表示の無かったものが、あとから、他人の不法行為による被害の救済を訴えてもそれは、認められない。

また、同時に、意思表示した側が、その行動によって、どのような結果を生もうとも、意思表示した側の責任であって、表明した意思の内容の問題ではない。

ただし、その結果が、他人の不法行為によって引き起こされた場合、その不法行為によって生じた結果の責任は、不法行為を行った側がとるのが法律的、道義的にも筋であろう。

主張を行い、それと対立する主張と議論になり、その結果、自分または、相手の主張のどちらかが「正しい」と成ったとしても、それは、「正しい」と主張した者の勝ちでもなければ、「正しくない」と主張した者の負けでもない。

ただ単に。議論が行き着いたまでのことである。

議論がそこに行き着いたからといって、それが恒等的に真であるかどうかは、別の問題である。たとえば、「人の血の色は赤である」という、主張であれば、(議論するまでも無いが)恒等的に真であることは容易に確かめられる。だが、「民主主義は善である」という主張の場合、恒等的に真であるとは、決めようが無い。

相対的に「悪」であることを主張しつづけられるだけの人間ばかりじゃないって現実があるのはどうしようもないけども。